朝日岳方面遭難対策協議会

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過去のおもな遭難

昭和40年

遭難月日
8月2日午前9時頃発生
遭難者
県立A高校3年女子生徒(当時18歳)

行動記録

1日目
一足先に夕日ヶ原を下り……!!
2日目
帽子などを谷に流して捜索隊に場所を知らせようとした。
計画的に食糧を食いつなぐ
3日目
必死に谷川を歩く
4日目
目が覚めると同時に絶壁を登ったところで、テントを見つけ助けを求める。

A子さんは、夕日ヶ原の雪渓で足を滑らせて転んだ時に方向がわからなくなり、気付くと下方に谷間の水の音が聞こえたので、それに沿って行けば小川温泉に行けると思ったという。

8月5日午前6時30分頃、柳又谷でキャンプをしていた人に助けを求め、同日午後1時10分頃捜索本部に無事が伝えられた。

当時の遭難としては、多がかりな捜索と日数、加えて動員数約150名および自衛隊ヘリコプター要請と関係者の苦労がしのばれ、これを機会に山岳遭難に対する関心が高まった。

昭和57年

遭難月日
7月19日
遭難場所
恵振谷
遭難者
大阪市の山の会3名と他の女性1名
救助隊
水野、古市、稲荷、藤田、長津
警備隊
土井、東、高田、谷口(凱)
新潟県
県警糸魚川署、糸魚川消防署
その他
複数の山岳協力団体

経過

7月19日朝7時、別々に朝日小屋を出発。朝日岳山頂で合流、蓮華温泉へ向けて下山中、ガスに巻かれて方向を見失い蓮華コースとは正反対の恵振谷側へ迷い込んだ。

7月21日、家族から捜索依頼。救助隊出動及びヘリコプターをチャーターし現地へ飛ぶ。朝日小屋に糸魚川署、糸魚川消防署との合同捜索本部を設置、活動を開始。

22日3班に分かれて捜索。1班赤男山から白高地沢、2班長栂山周辺、3班五輪山周辺に分かれて捜索するが手がかりなし。

23日4班編成。3班は昨日に引き続き捜索及び4班ヘリで黒岩谷入渓、依然手がかりなし。

24日3班に分かれて捜索、上空で創作中のヘリから連絡、午前7時40分恵振谷の河原で4人を発見救出。捜索解除。

昭和61年

遭難月日
8月5日
遭難場所
朝日平~柳又谷
遭難者
男性(28歳)単独
救助隊
谷口隊長、水野、谷、下沢、古市、稲荷、藤田
警備隊
土井、他数名

経過

7月8日、羽入から徒歩で北又へ(泊)。9日、雨の中北又から恵振山(泊)。10日、午前10時ごろ恵振山を出発。前朝日付近で登山道を見失って歩き回り、水谷の雪渓でスリップ、2、300メートル滑落、この日から35日間の孤独との闘いが始まった。

8月5日、家族から捜索依頼。8月6日救助隊出動。朝日小屋周辺と恵振山周辺を2班に分かれて捜索。7日、白馬岳方面に向けて出発、山小屋に立ち寄ったか聞き取り調査。2版は昨日に引き続き恵振山周辺を捜索、手がかりなし。12日、白馬方面下山、捜索中止。8月12日、遭難者黒薙川佐坊工事現場に救助を求め、トロッコ電車にて下山。

※この事故は、35日間奇跡の生還として新聞、雑誌等に載る。

昭和62年

遭難月日
8月15日
遭難場所
北又谷魚止滝付近
遭難者
東京都の男性(当時32歳)(死亡)
救助隊
水野、古市、青島
警備隊
土井、太田、中川、横山

遭難及び捜索経過

8月13日、北又小屋から北又谷へ入渓。魚止滝でビバーク。14日、上流へ向かって行動開始。大釜滝を届出人が先に泳ぎ渡り、遭難者がザイルを結びつけたザックにつかまり泳いでいる途中に、滝の落ち口に吸い込まれなかなか浮いて来ないので救助を求めに北又小屋へ向かうがルートがわからず1日ビバーク。翌15日午後3時、入善警察署に連絡、救助を求めた。

連絡を受けた入善警察署が遭対協および警備隊の土井隊員(そのころ土井隊員は三国境をパトロール中)に連絡する。

連絡を受けた土井隊員は至急、南小谷経由で入善警察署に入る。

16日、捜索開始。越道峠から約1時間あまりで現場に到着。滝壷を捜索、遭難者を発見。収容作業をするが推量と流れが速く難航する。17日、収容作業を再開。遺体を引き上げ魚止滝左岸のルンゼまで搬送安置したい医員全員、越道峠へ向かいヘリを要請するため下山。18日、天候が悪くフライト中止。よく19日魚止滝左岸のルンゼから遺体を収容する。

参考

この年、雑誌で北又谷を紹介。遭難者も紹介どおりのコースを辿り、事故発生後、雑誌に載っていたコースしか知らず発生から通報まで一人行動となり、渡渉に失敗し本人も事故に遭うところだった。

届出人は救助隊のコースを歩いて、こんな近い道があるとは知らなかったと調査不足を悔やんでいた。(後で届出人から聞いた話)

昭和63年

遭難月日
9月12日
遭難場所
北又谷魚止滝下流
遭難者
富山県内の男性3名
救助隊
谷口隊長、稲荷、藤田、水野、古市
事務局
折谷、林
警備隊
谷内、佐々木

9月12日午前10時30分、入善署へ家族から身内が下山予定の9月11日を過ぎても帰らないから至急捜索して欲しいとの連絡が入る。

遭対協事務局で入善署山岳警備隊員と打ち合わせ、隊員に連絡し越道峠に集合、2班に分かれて捜索。

1班、北又ダムからボートで上流の捜索。2班は越道峠から魚止滝周辺の捜索をするが、手がかりが泣く日没となり捜索を打ち切り、北又小屋に捜索本部を置き今後の捜索会議を行う。

2日目、家族の親戚、会社関係者が捜索に加わり、県警ヘリを要請、捜索を再開する。午前10時58分、役場の折谷課長から連絡が入り尾安谷付近の道路で3人を発見したという連絡が入り救助活動を解除。

遭難経過

9月10日入渓。当初、魚止滝でイワナ釣りをする予定で越道峠から入山。河原でテントを張る。夜中に雨が強く降り川が増水、暗闇のなか山へ逃げる。逃げる途中道がわからず山中をさまよう。

2日目の夜、街の灯りが見える。翌12日、灯りが見えた方向へ向かって下り発見された。

平成5年

遭難月日
8月3日
遭難場所
恵振山
遭難者
電力会社の職員(31歳)
救助隊
谷口隊長、谷、稲荷、藤田、水野、青島、花房、坂本、土肥、広田(隆)、広田(和)
警備隊
横山、堀川、長根尾、園川

経過

午前11時50分頃恵振山に設置してある雨量観測系の調査に向かった電力会社職員4名のうち1名が心臓発作で動けなくなり同会社で救助に向かっているが各方面の協力を依頼してきた。

第1報を受けた消防署が入善署に連絡、先発隊が現場に向かい2陣、3陣と隊員を現場に送り救助に向かう。病人午後9時10分北又到着、救急車に収容した。

平成6年

遭難月日
7月21日
遭難場所
朝日岳、馬の背
遭難者
東京都の医師(76歳)
救助隊
谷口隊長、水野、谷、下沢、広田(和)、土肥、大和、小川
警備隊
清水、横山
民間協力
川端(山小屋アルバイト)

経過

7月21日、高齢者のパーティ5名が早朝、朝日小屋を北又に向かって出発。馬の背の鎖場付近で仲間の一人が足を滑らせ滑落転倒。その際足首を骨折、動けなくなっているところへ朝日小屋の下沢さんが通りがかり救助を求めた。

入善署から県警ヘリを要請、警備隊員の2名が乗り込み救助に向かうがガスとガスによる視界不良と地形が悪く断念。

至急、町将校観光課に連絡し隊員に出動要請し、先発隊で出動している隊員の水野、警備隊の清水、横山と6合目付近で合流。午後6時救急車に収容した。